希乃子の小説、読んで下さいm(__)m

駄文な小説を書いてます。

僕等の街で。

バスミュの千秋楽当日の早朝4時過ぎ。突然の蕁麻疹発症で、僕は劇場近くの総合病院の救急外来を受診する事になった。

この日迄、アレルギーとは無縁だったので、原因は思い当たらないし、抗ヒスタミン薬を注射か点滴をしてもらわなければ引かなそうな状態だった。(実際、重症な部類だったらしく原因不明だった。)

「僕の持病の事とかを根掘り葉掘り、聴かないでくれて良かった。」

僕を診てくれた医師は、大学時代の同期で僕と、同じ演劇サークル桜吹雪のメンバーだったから、前から僕を知っている。そして、今は皮膚科で、主にアレルギーの患者を診察しているらしい。

「ん?聴いて、欲しかった?相変わらずの精神不安定だなで、流しとこうと思ったんだけど。俺、そっちはてんで専門外なんで。あ、でもこれだけは、言えるな。自傷するなよ、死ぬなよ疲労とストレスを溜め込むなよ、皆でワイワイ同期会したい。」

最後の願望に僕は、吹いてしまった。

病院から、戻ると諭吉を早朝に起こしてしまったらしく、そのまま眠れなかったらしいので僕に文句を言った。

「ごめん!!重度の蕁麻疹が、突然出ちゃって緊急事態だったから…。」

「ごめんだけじゃ、許さないからな。」

本気で、怒ってないと分かっていたけれど、僕は何度も、謝った。

「今週の金曜日、付き合ってくれるなら許す。」

「へ?付き合う?何に?」

僕は、諭吉に間抜けな感じの問いを返した。

「朝日平にある喫茶YOU&Iの特盛パフェ食べに行きたくて。でも、1人じゃ、食べ切れなさそうだし。パフェ代は、奢るし付き合ってよ。」

「良いけど、あそこ今は、不定休だよ?突然、休みになったりするし。」

優斗さんと、愛理さんの子は無事に産まれたのだが、2人が子育て最優先と決めた為に不定休を貫いている。

「休みだったら、桜ヶ丘のcafe cloverに行きたいんだよね。桜が丘に住んでた頃だから、年長の頃迄だな。両親に連れられて誕生日には、必ず行ってたんだけど。小1の7月末にロンドンに引っ越してから、久しく行ってないんだよな。」

「同学年に福沢諭吉って、いたかな…?僕、小3の5月迄桜が丘小学校に通ってたから、タメで覚えてない子っていないはずなんだけど。」

僕は、久し振りに桜が丘小学校時代の記憶をひっくり返したけれどそんな名前の子が、いた記憶はなかった。

「俺の親父、日系イギリス人だから俺の本名が、ミドルネーム込みで超長くてさ。福沢ハリーって、通称を名乗ってた時期だったかも。今は、福沢諭吉って名乗ってるけど。この顔、どっからどう見ても、ハリーっぽくないから突っ込まれるのに疲れて。高2の時に日本に戻って、通称を日本人風に変えた。」

「記憶をひっくり返しても思い出せない訳だ。」

その言葉と、同時に僕はやっと記憶を引っ張り出した。

「あの頃は、色々な人に相当迷惑掛けちゃってたなぁ。大人だけじゃなく、同級生にも。桜が丘小学校の屋上を立入り禁止にさせたり、ベランダ立入り禁止にさせたり言える事から、言えない事から色々やらかしたし。諭吉にも、相当…。」

僕の精神状態は、今以上に酷く常に誰かが、監視していなければいけない状態だった。

「俺もさ、小狼いたっけって思ったけど、今ので思い出した。夢原直人って、超ヤバい子いたなって。性格、あの時より明るくなったっぽくて気付かなかった。」

そして、僕にしか聞こえない位の小声で、「“この腐った世界で、生きるのは辛い”って言ってたの今なら理解出来る。」と、言った。

~続く~