希乃子の小説、読んで下さいm(__)m

駄文な小説を書いてます。

愛と勇気と時々希望を持って

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2000年8月某日
 
 
 
  僕は、総体…全国高等学校総合体育大会に出場する為に岐阜県にいた。今日は、100メートルの決勝。そして、月刊アスリートの記者に注目され嫌な気は、しなかった。
  「葵、何時も通り走れば大丈夫。お前の走りを見せ付けて、来い!!」
  コーチの檄が飛ぶ。もちろん、そのつもりだった。  僕は、直人のくれた手作りのお守りを握り締める。中身は、“武運長久”と彫られた木片で、ご利益なんかないけれど直人の優しさを感じる。
  コンディションは、抜群。早く走りたくて、ウズウズしながらスタートラインに立つ。
  「位置について…。」
  パーンと、ピストルが鳴る。パッと、同じ組みの奴等が一斉に走り出す。この日の僕は、何時も通りに走れなかった。
  足が、上手く動かない。酷い頭痛が、する。僕は、意識が遠退いて、ゆくのを感じた。
  気が付いたら、医務室にいた。
  「気が付いた、みたいだね。」
  「あ…。」
  「何が、あったの?急に倒れたって、聞いたけど?」
  混乱する僕の説明で、医務室にいた白衣の男性は理解してくれた様子だった。直ぐ様、岐阜大学医学部附属病院の紹介状を書いてくれた。
  「緊急を要するかもしれないから、すぐ行きなさい。」と、言い添えてだ。
  僕が、その事をコーチや監督、顧問の先生に伝えた。
  顧問の先生の付き添いで、僕は病院に向かう。僕は、まだあまり深刻に考えていなかった。
  大掛かりな検査をし、結論は脳腫瘍。“なるべく早期の入院治療の必要性あり”だった。診断してくれた医師と、話し合い東都医科大附属病院の脳神経外科宛に紹介状を書いてもらった。
  東京に戻った僕は、両親に正直に全てを告げた。そして、東都医科大附属病院に人生15回目の入院をする羽目となり僕と、朴秀人先生と脳腫瘍との1回目の闘いが幕を開けた。
 
 
 
〜続く〜